加藤マンドリン楽団の生い立ち

大正後期から昭和のはじめにかけて沼津、仙台、名古屋ではマンドリン音楽が盛んに行われていました。特に沼津は明治大学マンドリンクラブの創立者の深沢七三郎氏の出身地であったことから、深沢先生を慕って沼津プレクトラムオーケストラが発足し、加藤先生はこのコンサートマスタを勤めていました。作曲家の故古賀政男氏も一時、このオーケストラに所属され加藤正先生と一緒に演奏されていたことがあるとのことです。

沼津市は昭和20年6月17日、大空襲に見舞われて街の大半が焼失し、多くの方が亡くなりました。この大空襲から1年半の歳月で沼津市は目覚しい復興を遂げ、この復興を祝って昭和21年11月3日、大手町で復興祭が盛大に催されました。この復興祭で当時、旧国鉄の沼津機関区に勤められていた加藤先生の率いるマンドリン楽団は野外の特設ステージで「高原の旅愁」と「名月赤城山」の2曲を演奏し、見事音楽部門で優勝しました。これを契機として、加藤マンドリン楽団が発足し、愛称をK(加藤)M(マンドリン)G(楽団)として色々な演奏会で多くの人々を魅了してきました。

加藤先生は平成6年に逝去されましたが、先生の遺徳を慕う楽団員達によって三島雅叙園ホテルで追悼演奏会が開かれ、これを契機にKMGの会が発足し、再スタートしました。KMGの会ではこれまで沼津、三島、伊豆、御殿場地区などで老人ホーム、敬老会、生涯学習講座など月2〜3回の訪問コンサートをこなし、多くの人々に親しまれてきています。